ネット時代の旧メディア考察② ~ラジオはどうなる?~


さて、前回のブログで、ネット時代になっても、旧メディアの中でTVだけは、ネットとの相乗効果で売上は伸びていることを考察しました。

http://i-tamaki.blogspot.jp/2016/05/blog-post_26.html


売上が落ちているラジオについては、どうでしょうか?(下図)

民間放送事業者の1社当たりの売上高の推移   
     出典:電気通信協会 第76回特別講演会資料抜粋

雑誌や新聞等は、もろネットとぶつかるので当然減りますが、映像が伴わないラジオ等も当然大きな対象となります。

勿論、ラジオもPush型で、聞いている人に商品イメージを伝えるのはTVと同じです。

ただ、やはり普通の商品を宣伝するなら映像系にはかなわない。

最近のラジオの宣伝は特にこの傾向が顕著で、宣伝しているのは、保険や不動産、会社名等のビジュアル系を伴わない商品が多いですね。

先程のTVの視聴率の推移同様、ラジオの視聴率は間違いなく下がっています。

Podcastもラジオを聞かなくさせている原因の一つです。ラジオのように時間と場所に制約されることなく、いつでもどこでも聞けるのですから。

そういう訳で、ラジオは消えゆくメディアにならないかと少々心配になります。

と分析していたら、TBSラジオ、急に30程度ある番組全てのPodcastを止めて、ストリーミングサービスであるTBSクラウドへの移行を表明しました。

TBSラジオは2005年にアップルがPodcast機能を付与した直後から、ラジオ放送をPodcast化して配布していた先進的な取組をしました。私がPodcastを聞き始めたのも、その頃で当時から10年以上、TBSラジオは聞いていたので、今回の報道には驚きました。

やはり私と同じ想いの人は多いと思います。なにせ登録ユーザ数300万人、ダウンロードが5000万回/月ととてつもない規模になっていたようです。放送終了後、迅速にPodcastが提供出来るように、サーバの増設等を繰り返し、ついには年間5,6千万円の維持費にまで発展したようです。

そんな中で、宣伝を入れる等の努力は続けたものの、有効なビジネスモデルを描くことが出来ず、赤字垂れ流し的なサービスを続けるのが困難なため、Podcast配信停止との事です。

一見、理屈はあっていると思います。

ただ、幾らストリーミングサービス「TBSラジオクラウド」へのサービス移行、Podcastは発展的解消だとTBSさんが主張しても、視聴者は騙されません。

これは明らかにサービス後退だと思います。時間と場所を選ばないということに関して、ストリーミングサービスは、Podcastには絶対勝てないからです。

Podcastでも有名であり、私も愛聴していた
ラジオ番組「デイ・キャッチ」
実際、7月1日から、ストリーミングサービスを利用していますが、配信時間になるとアクセスが集中するせいか、ストリーミングが流れないことが多いですし、やはり溜め込み等が出来ない等、これから改善して行っても、Podcast以上のサービスに成れる雰囲気ではないですね。

ダウンロードだからこそ、負荷分散が図られるのです。クラウド技術をTBSさんは過信しているのではないでしょうか?

ビジネスモデルが描けないと言う、TBSさんの言い訳も良く分かりません。

ダウンロードしたユーザの特定が難しく、ユーザのポートフォーリオが描けないから、効果的な宣伝を打つことが出来ないとのことですが、Podcastに登録する際に、年齢や男性・女性等、必要なアイデンティティを記録させるようにすればマクロ的かもしれませんが、ユーザのポートフォーリオは描けるはずです。

というか、そもそもラジオ放送でも、ユーザの特定は難しく、モニタリングやアンケート等でマクロ的に把握することしか出来ないのではないでしょうか?

と考えると効果的な宣伝を打てないのは、ダウンロード型であるPodcastのせいでは無いような気がします。

やはり、ネット時代にストリーミングは、時代に逆行しますよ。電波が届く時にネットから取り溜めたものを、時間や場所を気にせずに聞くことができるというユビキタス性に制約が掛かります。

ですので、苦しくても、Podcast上での広告ビジネスモデルを、いの一番に獲得出来る位、TBSさんには頑張って貰いたかったです。ちょっと残念。

このまま、ラジオ自体が防災向けにしか発展の余地が無く、サイマル放送に見られるように災対用としてのNHKしか生き残らないなんて最悪の事態にならないように頑張って貰いたいものです。

のぼうの城

今回、Facebookのオフ会で「のぼうの城」事忍城へ行くことになり、その前にと思って、和田竜の「のぼうの城」を読みました。

2012年の映画も勿論見ました。驚くべきことに殆ど映画と変わらないですね。

普通は映画は長い小説をデフォルメするせいか、原作とはかなり違うことが多いと思いますが、この小説は映画と全く同じです。

強いて言うなら、主人公の「のぼう」が大男なのに対して、演じる野村萬斎は、そう大きくは無いという位でしょうか?

まあ、この小説が当初は無名のデビュー作であったことも、このまま映画化されたことと関係あるのでしょうが、こんな小説に出来る程の大立ち回りが、豊臣の北条攻めの時に、小田原城の支城であったとは驚きです。

小説の中、生き生きしていますよね。キャラクターが。

そのまま映画に出来る訳です。

ただ、皆さんもご存じのように、あまりに話が生き生きしている場合は、多少誇張されている話が混ざっていることが多いです。

今回のこの小説、実際はどうだったのかを、本の舞台となった埼玉県行田市の忍城等に行って調査しました。

結論として、やはり少々ありました。

ただ、個々で仔細を書いてしまうと、かなりのネタバレになってしまいますので、詳細は、マイナー史跡巡りの方で、書きたいと思います。

小説の核となる石田堤の場所にて
(堤を築くのに俵を運んだ)
ただ、やはり現地に行くと本当に色々と分かりますね。

この小説を書くにあたり、和田竜さんは何度も行田市に足を運んで、調べられたと行田市市役所の方はおっしゃっていました。

ですので、和田さんご自身、どこまでが真実で、どこからが通説なのかを十分に分かられた上で、書かれていらっしゃるのでしょう。

こういう小説を人生で一度は書いてみたいなあと痛感する二冊でした。笑

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