将門小話① 國王神社

①新緑の中の國王神社
Blog「マイナー・史跡巡り」 の中では、貞盛・秀郷連合軍との最後の合戦で、絶命した将門をバラバラにして、胴の部分を埋めた「神田山」(カドヤマ)を写真と共にご紹介しましたが、絶命した将門「終焉の地」には、國王神社が現在建っています。(写真①)

こちらは将門の三女が父を偲び、庵をこの最期の将門の地に建てたのが始まりだそうです。

ここであの新橋駅前の飲み屋街の喧騒中にある「烏森神社」の秀郷が戦勝祈願した矢が将門に刺さったのですね。(写真②
しかし、この「終焉の地」と胴塚のある「神田山」は10km弱も離れています。また「神田山」と言っても、全然山ではなく、この辺り一帯は、本当に広々とした平原です。(写真③
何故山がある訳でもないのに、平原を10kmも離れた場所まで将門の遺体を運んだのでしょうか?

ここで、どう将門が絶命し、どんな状況で神田山まで運ばれたのか。
合戦の喧騒とは程遠い、初夏の日差しが若葉の間から照りつける茅葺屋根の神社は、静かに佇んでいました。(写真④
④新緑に佇む國王神社
お読み頂き、ありがとうございました。