南部の郷


山のあなたの 空遠く
 さいわい住むと人のいう

ああ われ人と尋(と)めゆきて
 涙さしぐみ かえりきぬ

山のあなたに なお遠く
 さいわい住むと人のいう


これは1枚目の写真(写真①)を撮った風景の下にあった看板に書かれていた詩です。

①身延山奥之院から南西にある七面山方面を臨む

この詩の前に、「遠くの山並みをご覧になりながら上田敏の名訳によるカール・ブッセの美しい詩も味わい下さい。」とも書いてありました。

本当にそんな感じの風景ですよね。

場所は身延山奥之院。実はここと写真①にある山は、日本を糸魚川から真っ二つに分断しているフォッサ・マグナによって分け隔てられているのです。

標高1153mもありますので涼しく、2枚目の写真(写真②)のように富士山の景色も抜群です。

②①とは反対側東側に位置する富士山

今回、身延山に来たのは、南部氏のルーツを探りに山梨県の南部町を中心に色々と調査をしているのです。身延山は日蓮聖人が南部実長(さねなが)公とお会いになった後、開山したのです。

写真③は日蓮聖人が南部実長公が身延山へ行く前に会われた当時の南部氏の菩提寺・妙浄寺の賽銭箱なのですが、東北の南部氏と同じ「向鶴の紋」が使われています。

③正に南部氏の家紋「向鶴」

写真④は南部館跡で、今は井戸しか残っていません。

④南部氏館跡は民家の中に入って行って初めて見つかりますので、発見するのに苦労しました(笑)。

この館、富士川の直ぐ横にあります。(写真⑤)

⑤南部氏の館の直ぐ横が富士川になります。七面山と身延山の方を眺めるとこんな感じ。

南部氏がここに来た当時もこんな感じの景色が広がっていたのでしょうか?

まさに、最初のカール・ブッセの「さいわい住む人」ってここの南部氏にピッタリだと思いませんか?

また南部氏の源流についても描きたいと思います。

【関連リンク】中尊寺金色堂 小話⑪ ~東北調査紀行7~