元旦に、尼崎城を訪問しました。(写真①)
①尼崎城 |
昨年3月にオープンするお城として、一昨年前の「お城EXPO」(パシフィコ横浜で開催)で大々的に宣伝していたのが印象的でした。妻の実家から近いこともあり、オープンしたら早々に行きたいと思っていました。(写真②)
②一昨年前の「お城EXPO」では、オープン前 から既に尼崎城再建は有名だった |
「最近の再建」ということは、古いお城に比べると、史跡的な趣きは少ないかもしれないなあと期待せずに訪城したのですが・・・。
1.荒木村重の尼崎城
尼崎城というと最初に思いつくのは、戦国時代の荒木村重。
おおっ!荒木村重と言えば、今日2020年元旦に相応しい「餅ネタ」が有名じゃん!とばかりに一人で色めき立つ私。
◆ ◇ ◆ ◇
拝謁した信長の前で「摂津国13郡は、私めに切り取りをお許しいただければ存分に切り取ってみせまする!」と粋がって見せる荒木村重。
黙って聞いていた信長は不満顔。村重の顔など見ていません。見ているのは何故か目の前にある餅。
③荒木村重の有名な餅食べ (私のLINEスタンプ集から) |
すると信長、小姓に向かい「刀を持て!」
え!ヤバい!と青ざめる家臣団。「まさか御手討ち・・・」
スラっと刀を抜き放つ信長。村重目掛けて思いっきり突きを入れた・・・と思いきや、目の前の大きな餅を刃先で突いていました。
ほっとする家臣団。しかし次の瞬間、またもや家臣団は青ざめます。
「食え!」
信長は刀の先に刺した大きな餅を村重の眼前に差し出し、このまま喰らいつけという態度。村重が喰らいついたらそのまま餅ごと刀を村重の喉に突き入れるかもしれません。信長を知る家臣たちは「やりかねない!」と青ざめるのです。
ところが荒木村重は平然と「頂きます」とばかりに餅に喰らいつき、あまりの大きさに口に入りきらないせいか、困った顔をしています。(絵③)
その滑稽かつ愛嬌のある姿を見て、信長は大笑いします。
そして、村重に「摂津はそちに任せる!」と言い放つと、村重は「フガフガ(ありがたきしあわせ)」と言います(笑)。
家臣たちと違い信長の振舞いを少しも疑わない村重の胆力に、信長は感心したのだろうという、この逸話は有名です。
◆ ◇ ◆ ◇
後に村重は信長に反抗します。詳細は別途、有岡城等を調査後に書きますので、ここでは省略しますが、有岡城を脱出して、信長の前から姿を消す前に村重が入城したのが尼崎城(別名、大物(だいもつ)城)なのです。ここで村重は一族や自分の郎党が皆殺しになっても自分は生き延びるという道を選んでしまうのです。
2.戸田氏の尼崎城は荒木村重のそれとは場所が違う?
さて、この平成最後の再建城、訪問されると分かりますが、江戸時代の譜代大名 戸田氏鉄(うじかね)に江戸幕府が築城させ、大阪の西の守りとしたというところから話が始まり、色々な展示や解説がなされています。
この江戸時代期から始まる尼崎城は、以下の絵のような瀬戸内海に面し、船が横付けできる城として優美な姿を見せていたようです。別名を琴浦城といいました。(絵④)
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④摂津尼崎琴浦城図:荻原一青画に追記 |
また、再建したお城の本丸の現在の位置ですが、実はこの絵④の築城時の位置とずれています。実際の本丸があった場所には小学校が建っているためです。この小学校の南側に尼崎城址の石碑が建っています。(写真⑤)
⑤明城小学校の南側に建つ尼崎城址 石碑 |
では、今の再建尼崎城はどこに建っているのか絵④の上に展開してみると以下のようになります。(絵⑥)
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⑥尼崎城址石碑の位置と再建した 現在の尼崎城本丸の位置 |
先程も申し上げましたように、この再建された尼崎城、パンフレット等を幾ら読んでも、あの有名な荒木村重との係わりなどの話は一切出て来ません。
Web等で色々と調べると、どうやら荒木村重の起居した尼崎城とは場所が違うとの認識が強いようです。
なるほど!なので村重色は一切無かったのかあ!
と感心していてはいけません。関西の歴史を知らない私のような人間は、「では、荒木村重が起居した尼崎城はどこ?」と、これまたWebを調べ回りました。
すると分かりました。(写真⑦)
⑦荒木村重の尼崎城があった辺りに ある大物主(おおものぬし)神社 |
遺構は全く残っていません。この神社の位置あたりに村重起居の尼崎城があったという情報を基に、先程の絵に反映させてみます。(絵⑧)
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⑧荒木村重時代の尼崎城の位置 |
正直、荒木村重の尼崎城、江戸時代の尼崎城、それから今再建した尼崎城の位置のずれを絵⑧で見ると、3か所はかなり近いです。この程度の距離差であれば、荒木村重の頃の尼崎城もこの再建した尼崎城辺りだと言ってしまってもいいのではないかと私は思ってしまいました。
というのは、後北条氏時代の小田原城でも今の小田原城(江戸時代の小田原城)からの位置からのずれは、尼崎城と同じようなものです。しかし、小田原城では大々的に後北条の城としてフューチャーしています。
また他にもこれくらいの城の位置ずれは沢山ありますよね。
◆ ◇ ◆ ◇
と折角再建してくださった方々にいきなりクレームみたいなことばかり書いて申し訳ないなと思った玉木は、次は再建に対する良い面を書きたいと思います(笑)。
3.ミドリ電化創業者の寄附
再建したこの尼崎城、廃藩置県で取り潰した本丸を忠実に模造している等の観点から、戸田氏以降の築城を重視し、文化遺産的なものを見せるのに良いのかも知れません。(本丸の左右が反対であるとの噂もありますが)
お城の鯱が郵便ポストの上にあるのも、近くの櫻井神社に江戸時代の店主の鬼瓦があったりするのも、当時のお城そのものを堪能するのにはもってこいですから(笑)。(写真⑨)
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➈左:尼崎城鬼瓦 右:何故かポストに鯱(後ろが再建本丸) |
最後にもう1つ。
この尼崎城再建にあたって、創業の地に史跡としてこの尼崎城を再建するのに10億円以上の多大な寄附をした企業があります。
ミドリ電化という家電量販店です。
関東の皆さんには、あまり馴染みが無いかもしれませんが、このミドリ電化という家電量販店、ITの進化が激しい中で、私の義父・義母のような家電をどう扱ってよいか分からないお年寄りに本当に親切な会社でした。(過去形になるのは、つい数年前からエディオンに吸収合併されたため)
この再建尼崎城も以下の360°写真にもちらほら見えますが、階段という階段に手摺を設置し、また入城に関しても車椅子の方でも入りやすいような設計にしている等、来城する高齢者に対する配慮・思いやりが随所に感じられます。(360°写真⑩)
⑩再建尼崎城内
勿論、会社的には必ずしも綺麗ごとだけではすまないところはあると思います。ただ、創業の地・尼崎への貢献として、このような象徴的な城に寄附するのは、やはり大したものだと感心するのです。
私のような、平成に再建されたお城自体への興味は薄い人でも、尼崎の歴史については調べよう、荒木村重と尼崎城について調べようと思う動機を与えられたり、他にも色々と尼崎という場所に対する興味を引く動機になると思うのです。この尼崎城の再建が。
営利第一で史跡なぞ二の次と軽視されがちな今の時代にこのような史跡再建活動にも力を入れてくれる地元企業、「地元には歴史を、高齢者にはITによる利便性を」提供しようとするその姿が、何か私のこの史跡巡り活動と通ずるものを感じました。
4.おわりに
2020年の元旦にこの城に来たことが、幸先のよい史跡巡りのスタートになったような気がして、ちょっと嬉しかった次第です。
年始めからの乱文、大変失礼しました。どうぞ2020年も引き続き「マイナー・史跡巡り」「Tsure-Tsure」ブログをよろしくお願い申し上げます。
【尼崎城】〒660-0826 兵庫県尼崎市北城内27番地
4.おわりに
2020年の元旦にこの城に来たことが、幸先のよい史跡巡りのスタートになったような気がして、ちょっと嬉しかった次第です。
年始めからの乱文、大変失礼しました。どうぞ2020年も引き続き「マイナー・史跡巡り」「Tsure-Tsure」ブログをよろしくお願い申し上げます。
【尼崎城】〒660-0826 兵庫県尼崎市北城内27番地