楠木正成の史跡巡り② ~神戸方面~

 昨日は楠木正成第2弾ということで、主に神戸の湊川神社を中心に調査しました。(写真①)
① 湊川神社
難攻不落の千早城で北条軍を引き付けている間に、鎌倉幕府を攻め滅ぼした新田義貞。新田義貞の縁戚にあたる足利尊氏は朝廷側だったとは言え、気に入りません。結局「建武の新政」等とイノベーション的な事を言っても、中身は王政復古。保守的なことをしようとする後醍醐天皇らに反発する武家を集め、足利尊氏が反旗を翻します。

 ところが足利尊氏は、芦屋市の打出浜で楠木正成軍にやっつけられ敗退。(写真②)
②打出浜の戦いの碑  ※この戦は楠木正成が足利尊氏に勝ちました
しかし、九州でまた勢力を盛り返した足利尊氏は、会下山(えげやま)を中心に布陣する楠木正成と新田義貞軍を破るのです。これが「湊川の戦い」の超ダイジェストです(笑)。(写真③)

③「湊川の戦い」の碑 ※この戦は楠木正成は足利尊氏に負けてしまいました。
ここは、神戸が一望に見渡せるスポットにもなっており、戦(いくさ)の時も沖に居た細川水軍(足利尊氏側)も良く見渡せたのでしょう。(写真④)
④碑の立つ会下山から神戸方面の景色 ※神戸夜景スポットの1つです。
四字熟語にもなる程有名な七生報国を最期に誓い、弟と刺し違えた正成。

 後世、大日本史の編纂で有名な水戸光圀(水戸黄門ですね!)によって、墓を再建され、「嗚呼忠臣楠子之墓」(ああ、天皇に忠臣である楠木氏の墓)と揮毫された字が有名です。(写真⑤)
⑤水戸黄門が書いた「嗚呼忠臣楠子之墓」
最後に、この湊川神社のお稲荷さんが玄妙な雰囲気を醸し出していたので写真を追加します(笑)(写真⑥)
⑥楠木正成の墓の隣にあるお稲荷さん
詳細はまた秋以降のBlogで描きますね。良い関西旅行でした。
ありがとうございました。