しかし、決して美味しいモノを食べたりせず、時間を惜しんで、コンビニおにぎりばかりの食事ですが(笑)。
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①箱根の大観峠からの芦ノ湖 |
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②頼朝の戦場離脱ルート(水色線) と私が車で走ったルート(赤線) |
あの前田青邨の名画の場面となった洞窟が見たくて、車を走らせてきました。(絵③)
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③前田青邨「洞窟の頼朝」 |
ところが、大観山から真鶴へ向かう道路を走行中、有名なレーダー局が良く見えるヘアピンカーブを走っていると、何か曰くがありそうな石碑を目撃。(写真④)
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④真鶴へ向かうヘアピンカーブに何か石碑が! 向うに有名なレーダ局が見えます |
⑤土肥の大椙(おおすぎ)石碑 |
えっ!ちょっと待て、ここがあの青邨先生の名画の場面の杉があるところ?
と、???状態です。
ここに目指す青邨先生の描いた場所があるようなので、「しとどの窟」は後にして、兎に角調査をすることにしました。このヘアピンカーブから、下の看板に沿って歩けばいいのでしょう。(写真⑥)
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⑥土肥の大椙方向を示す石碑 北東へ約400mと書いてある |
すっかりGoogleマップで歩くことに慣れている私は、早速スマホを取り出し、アクセスしようとします。が、
なんと!電波が入りません!
流石天下の険の箱根ですね。電波専門のレーダー局は直ぐ近くにありますが、携帯電波が入らない。(逆に、レーダーへの干渉を避けるため、携帯電波塔を建てていないのかも。)
こういう文明の利器に慣れ切った怠惰な生活を送っていると、こういう時に困ります。
腕時計は針式では無く、歩数計兼ねたデジタルだし・・・(T∇T)
仕方なく、私の杖の先端に付いている精度が良くない方位磁石を当てにすることとしました。しかし、なかなか方角が安定しません。
「えいっ、ままよ、こっちじゃ!」とばかりに、勾配を下り始めました。
途中、海等も見えて、良い景色です。気分良く歩いていました。(写真⑦)
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⑦海も見えて良い景色 |
しかし、歩けど、歩けど何も出て来ません。どんづまりに行き当たりました。
2㎞位は歩いたでしょうか。
そうだ!海が見えて、下っているということは、北東ではなくて南東だな。
やはり安物の方位磁石は使えないなあ 等とボヤイて、ゼイゼイ言いながら、坂を登り、先ほどの石碑を通り過ぎ、更に登ります。(写真⑧)
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⑧今度はこの道を登る登る |
さて、もう「しとどの窟」へ行こうか、しかし、石碑に書いてあることが本当だったら、凄く勿体ないことになってしまう。
そう思い悩みつつ、じっと石碑を見ていると、「もしかして、石碑に書いてある→の方向が北東?」
私はそれとクロスする方向の道路を下ったり、上ったりしていました。
しかし、その→が差す方向の写真⑨を見て下さい。
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⑨石碑の→が指し示す方向はこちら |
一応、行ってみると、普通ここを降りないだろうと思われる獣道があります。
本当にこの道なのでしょうか?先程の道に比べると遥かに狭いし、土地の人しか入らない道なのではないでしょうか?どうして道案内の看板の1つも無いのでしょうか?
と、またまたボヤキながらも、兎に角行ってみることにしました。(写真⑩)
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⑩殆ど獣道 |
綺麗な清水が流れ出ています。(写真⑪)
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⑪清水です |
ふと、熊は大丈夫だろうか?という思いが浮かんできました。
箱根に熊が居るかどうかは知りませんが、昔は大人しいとされた月の輪グマでも、最近襲われて死亡する例が絶えないですよね。こんな清水が出るところ、水を飲みに現れそうじゃないですか。
ヤバい、ヤバいと言いながらも、尚奥地へと向かいます。
もう史跡巡りというより、探検に近くなってきました。
しばらく行くと、今度は木橋が!(写真⑫)
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⑫かなり古そうな木橋です |
踏み抜いて、転落。怪我したところに、熊が・・・(´;ω;`)
妄想力が高まっている時は、そろそろ止めた方がいいですね。正常な判断が阻害されます。
あと3分歩いて何も無かったら、戻ろうと決めました。
もう執念です。この3分間は長い・・・。
ところが・・・
1分切ったところでありました!!待望の看板です!!
思わず1人でガッツポーズ。(写真⑬)
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⑬待望の看板がありました! |
途中不安がらせないように、もう少し道案内出して欲しいです。
兎に角到着、諦めないで本当に良かった!!
頼朝達が隠れたという大杉は大正6年(1920年)に台風で倒れてしまったらしく、小高く盛られた築土の上に大杉の跡の石碑がありました。(写真⑭、⑮)
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⑭築土の上に石碑があるのみの大椙跡 |
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⑮大杉の説明文(何故か大椙ではなく大杉) |
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⑯倒れる前の大杉 |
青邨先生の名画は、この洞をイメージしたものではなく、きっと「しとどの窟」だと思われます。次回、「しとどの窟」の紀行文で写真等を掲載します。
しかし、苦労しましたが、私はあの梶原景時に見つけられた瞬間の頼朝が、彼の人生の中で、一番窮地に立った時だと思うのです。青邨先生もそう思われて描いた頼朝の表情、深いと思いませんか?
自信すら感じさせるその笑みのように見える表情に、青邨先生はどういう意味を持たせたかったのでしょうね。
次に思ったのは、こんな山奥、良く頼朝たちも来たものですし、平家側だった梶原景時も見つけたものです。私自身が苦労しただけに本当に感心します(笑)。
成果が出たことに安心し、そんな事を考えながら、元来た道を急ぎ、次なる「しとどの窟」への史跡巡りを続ける私でした。
長文お読みいただき、ありがとうございました。
---Blog「マイナー・史跡巡り」(三浦一族② ~石橋山合戦~)