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9月, 2017の投稿を表示しています

中尊寺金色堂 小話② ~かわらけ~

今回、後三年合戦を調査するにあたり、一番の激戦地となった横手市は金沢柵に建っている後三年合戦金沢資料館の学芸員の方に、色々とご指導を頂きました。(写真①)

この学芸員の方、ご丁寧に後三年合戦の史料をコピーして下さる等、本当に良くして下さったので、何か恩返しをしたいと思いましたが、こちらは何もお返しできるようなものは持って居ません。

ふと、資料館受付の横にある土産もの(と言っても3点しかありませんでしたが)に目を止めると、珍しいものが目に留まりました。

「後三年かわらけ」と書かれた綺麗な箱です。箱の表に描かれているのは後三年合戦絵巻。まだ「マイナー・史跡巡り」には描いていませんが、義家が、潜んでいる家衡のゲリラ部隊を雁の飛び方で発見し、掃討する場面が描かれています。(写真②)

「かわらけ」と言えば、なにやら土器のようなものくらいの知識しかありませんでしたが、兎に角、学芸員殿への御恩返しとばかりに購入することにしました。600円だから全然御恩返しにはなっていないと思いますが・・・(笑)。

さて、家に持ち帰り開けてみますと、変哲の無い「かわらけ」1皿と資料館からの解説書が1枚。(写真③)

解説書によると、「かわらけ」は平安時代から近年まで、主に宴会用の使い捨て容器として利用されてきました。

見た通り素焼きで、釉(うわぐすり)を塗っていません。(写真④)
これは、使い捨ての器であることから、釉塗布のコスト等を掛けずに、安く作成できること、捨てた後、土に還りやすい等、環境にも優しいという利点があります。

つまり、現代の紙皿とほぼ同じ位置づけなのですね。(勿論、紙皿は土に還りやすいのでなく燃やしますが)

では、何故この平安の紙皿である「かわらけ」が後三年合戦のお土産として売られる程、重要なのかと言うと、この後三年合戦のメイン舞台となる秋田県横手市にある清原一族の拠点から、大量にこの「かわらけ」が出土しているのです。
しょっちゅう宴会が開かれており、それが清原氏の勢力の大きさを表しているということです。

なので「かわらけ」は、単なる平安時代の紙皿というだけのモノではなく、出土する量に等よって、その一族の勢力を計る一つのバロメータなのです。

ちなみに、この「かわらけ」は、素焼きであるがため、お酒を飲む前に水に浸けて水分を含ませないと、お酒が器に染み込んで勿体無いことになるだけでな…

映画「ダンケルク」

映画「ダンケルク」を見てきました。(写真①)

あまり前評判も知識も無いまま、NHKジャーナルのPodCastを聞いた時に、そこそこの評価がされていたのでチョイスしたのですが、これが想像以上に面白かったです。


「陸・海・空」の3つの恐怖というかハラハラドキドキが楽しめる、とは云うものの、戦争アクションにありがちなドンパチドンパチという訳では無く、かと言って、もう一方でよくある悲惨な感じもない、つまり説教臭くないのです。

また、そこで起きている事象については、陸海空それぞれの視点で描かれているので、時間的に遡ったり、先に進んでいたり、映画の途中で、「あ、さっきの映像は、この話の今上映しているこの場面を空から見たものだったのだな。」等の話の戻りが何もナレーションも無く進みます。これも話にメリハリを付けているので、最初から最後まで話に飽きが来ないようになっています。

そして、この手の戦争映画は長いことが多いのですが、1時間45分と比較的短いです。

是非、お薦めします。

ただ、私は、見た後に知ったのですが、ダンケルクについて、以下の基礎知識がある方が映画の背景が分かり、理解が進みやすかったなあと反省しています(笑)。

これから見に行かれる方で、「ダンケルクって何だ?」と思われる方は、是非ご一読下さい。

◆ ◇ ◆ ◇

第2次世界大戦初期の1939年の西部戦線、ドイツ軍は戦車、航空機等の新しい兵器等を最大限活用した戦法、電撃戦を編み出し、英仏軍をヨーロッパ大陸から駆逐し始めます。(写真②)

初期のドイツ軍は凄いですからね。何が凄いかと言うと技術力です。

フォルクスワーゲンを開発した技術、アウトバーンのような高速道路も大戦前に作っていますし、航空機、戦車、Uボート、大概の近代兵器は非常にレベルの高いものを作り出しました。(写真③)

戦争初期は、それらの技術を駆使した兵器を総動員して、ヨーロッパ大陸内の英仏軍に宛てたのですから、それは英仏軍はどんどん追いやられる訳です。

1940年には、ベルギー・フランス国境を突破し、英仏軍をフランスの国境の街、ダンケルクに追い込みます。(地図④)

ダンケルクはフランスの最北端の街であることから、ドーバー海峡を渡れば仏兵士たちはイギリスへ逃げることが出来ます。

ただ、ここに40万人もの兵士が追い込まれたのです。40万人一気にドーバー海峡を渡ること…

中尊寺金色堂 小話① ~じゃじゃ麺~

私のマイナー史跡巡りという行動は、現地に向かう前の事前調査も少なく、計画性も無く、行った先の史跡で「あ、そうなんだ!じゃあ、これはどこで起きたのかな?」と呟きながら、リアルタイムでググります。

すると、その史実に関しての知識と同時に、関連史跡も分かるので、次にその中で興味のある史跡へ移動します。

そこでまた「あ、そうなんだ!じゃあ、・・・」の連鎖により、段々分かってくるという感じです。

本当に最近はIT化で便利な世の中になりました。かなりマイナーな史跡でも、Google検索と、GoogleMapさえあれば、最短で到着できます。

スマホさえあれば、効率よく情報を探し、行動できる時代。最近は写真のように、車据え付けのカーナビよりも、GoogleMapのカーナビの方ばかり使います(笑)(写真①)

中学生の頃は、図書館で国土地理院の地図を開き、一生懸命その史跡を調べ、現地でも詳細の場所はどこか分からず、半日歩き廻り史跡を探すのが当たり前でした。

その頃に比べると隔世の感があります。

しかし、効率が良くなった分だけ、弾丸のような史跡訪問行程となり、今度は移動時間・食事時間が勿体なく感じてきました。
そこで日本全国何処に行っても、トイレ、公衆無線LANによる情報収集、美味しいコーヒー、朝飯・昼飯の利用、全てコンビニばかりとなってきております。

こればかりだとさすがに哀しく感じることもあります(笑)。

そこで、今回盛岡に行ったこともあり、せめてもの贅沢(大笑)として、盛岡名物じゃじゃ麺を食べました。(写真②)

◆ ◇ ◆ ◇
※以降の写真も全て食す前の写真ですので、ご安心して閲覧ください(笑)。

じゃじゃ麺、東京でもたまに社食等で昼に食べたりします。
汁気の無い麺は焼きそばでもなんでもそうですが、鉄板上でジャージャー音がしますから、この麺もその音で東北の人がこの名前を付けたのだろうくらいに思っていました。

Wikiで調べると、元々は中国の家庭料理の1つなのですね。じゃじゃも中国語で「炸醤麺(ジャージアンミエン)」から来ているとのこと。

ただ、コンビニ等でも売っているじゃじゃ麺は、本場とは違って、砂糖などを用いたた甘みが強く、さらに唐辛子や豆板醤などで辛めの味付けがされているのだそうです。

また麺もラーメンなどと同じものが使われていることが多いのだそうで、それで私が「焼きそば等と同…