すると、その史実に関しての知識と同時に、関連史跡も分かるので、次にその中で興味のある史跡へ移動します。
そこでまた「あ、そうなんだ!じゃあ、・・・」の連鎖により、段々分かってくるという感じです。
本当に最近はIT化で便利な世の中になりました。かなりマイナーな史跡でも、Google検索と、GoogleMapさえあれば、最短で到着できます。
スマホさえあれば、効率よく情報を探し、行動できる時代。最近は写真のように、車据え付けのカーナビよりも、GoogleMapのカーナビの方ばかり使います(笑)(写真①)
①車載のカーナビよりスマホのGoogleMapを使う |
中学生の頃は、図書館で国土地理院の地図を開き、一生懸命その史跡を調べ、現地でも詳細の場所はどこか分からず、半日歩き廻り史跡を探すのが当たり前でした。
その頃に比べると隔世の感があります。
しかし、効率が良くなった分だけ、弾丸のような史跡訪問行程となり、今度は移動時間・食事時間が勿体なく感じてきました。
そこで日本全国何処に行っても、トイレ、公衆無線LANによる情報収集、美味しいコーヒー、朝飯・昼飯の利用、全てコンビニばかりとなってきております。
こればかりだとさすがに哀しく感じることもあります(笑)。
そこで、今回盛岡に行ったこともあり、せめてもの贅沢(大笑)として、盛岡名物じゃじゃ麺を食べました。(写真②)
②本場盛岡市で食べたじゃじゃ麵 |
◆ ◇ ◆ ◇
※以降の写真も全て食す前の写真ですので、ご安心して閲覧ください(笑)。
じゃじゃ麺、東京でもたまに社食等で昼に食べたりします。
汁気の無い麺は焼きそばでもなんでもそうですが、鉄板上でジャージャー音がしますから、この麺もその音で東北の人がこの名前を付けたのだろうくらいに思っていました。
Wikiで調べると、元々は中国の家庭料理の1つなのですね。じゃじゃも中国語で「炸醤麺(ジャージアンミエン)」から来ているとのこと。
③コンビニでゲットしたじゃじゃ麺 |
また麺もラーメンなどと同じものが使われていることが多いのだそうで、それで私が「焼きそば等と同じ無水の麺」と感じたのだと思います。(写真③)
で、結局岩手県は盛岡市のじゃじゃ麺が、中国の家庭料理の伝統を一番継承しているとのこと。
私が食べたお店は、「不来方(こずかた)」というお店で、盛岡市内では3番目に古い、じゃじゃ麺の老舗ということで宿泊したホテルから紹介されました。(写真④)
④盛岡市の老舗「不来方」(こずかた) |
夏休みとは云え、日曜日の夜だけあって、お店には人があまり居ない、というか私しか居ない状況でしたが、その分、ご店主から色々とじゃじゃ麺について教えて頂けました。
まず、じゃじゃ麺の麺ですが、先程、ラーメンのような無水の麺ではなく、平たいきし麺のような独特の麺を使うのが本場であり、不来方でも写真⑤ような平打ちうどんかきし麺のように感じられる独特の麺でした。(写真⑤)
⑤麺はきし麺のような独特の平麺 |
これに、特製の肉味噌とキュウリ、ネギをかけ、好みに合わせたトッピング(私の場合はチャーシューです)をします。(写真⑥)
⑥肉味噌とキュウリ、肉味噌の奥にネギ、 チャーシューのトッピングと右は薬味類 |
そして、これに、薬味としてラー油、お酢、おろしショウガやニンニクをかけ、グワーッと良くかき混ぜ、写真⑤のような状態にします。
この肉味噌とキュウリと麺等が良く絡んで、甘辛くとても美味しいです。ラーメンとも和麺とも違うこの食感は独特ですね。東京で食べるじゃじゃ麺とも違い、独特の盛岡らしさを感じます。
食べながら、ふと目に留まったテーブル上写真⑦左の”ちーたんたん”。
「これは何ですか?」とご店主に聞きましたところ、写真⑦の右側ようなものであることが分かりました。(写真⑦)
⑦ちーたんたん |
これもなかなかでした。「蕎麦湯」って栄養価が高いと言われていますよね。やはり盛岡じゃじゃ麺も独特とは云うものの、和麺と同じような製作方法で、その茹で汁は栄養価が高く、スープにするのですね。
この盛岡じゃじゃ麺、ご店主のお話ですと、戦前の旧満州で、中国人たちが寒い冬等に良く食べる家庭料理の味が忘れられず、終戦後、盛岡に復員されてきて、日本の麺等の食材を使って屋台を始めたのが始まりだそうです。
そして盛岡の人たちの舌に合うようにアレンジを繰り返し、「じゃじゃ麺」としての独特の味を形成したのだそうです。
宇都宮餃子と同じような経緯ですね。
面白いのは、宇都宮餃子も満州でのスイトンから。このじゃじゃ麺も満州。
満州は冬場はかなり寒いのです。
盛岡等東北も宇都宮もかなり寒い土地で満州に似ています。そういう気候の共通性もあるので、親しみやすい料理となったのではないでしょうか?
◆ ◇ ◆ ◇
「不来方(こずかた)」って洒落た名前をお店につけたなあと、この時は思いましたが、翌日見て廻った市内の「盛岡城」は、地元の南部氏に盛岡と名付けられる前570年間は「不来方城」と呼ばれていたことを初めて知りました。(写真⑧)
⑧盛岡城は570年間「不来方城」だった |
また、岩手を代表する石川啄木の詩に
⑨盛岡城にある啄木の詩 |
不来方(こずかた)の
お城の草に寝ころびて
空に吸はれし十五の心
というのがありましたね。(写真⑨)
この不来方という地名、お店でちょっと洒落ているなあと感じたのは、「来ない方」なんて、山下達郎の大ヒット曲「クリスマス・イブ」の中の「きっと君は来ない」の歌詞を彷彿させるじゃないですか。恋愛チックでロマンスがあるなあと思ったのです。
ところが、由来を調べると福島県いわき市の勿来(なこそ)と同じで、「来ないで欲しい方」、勿来も「な来(こ)そ」すなわち「来るなかれ」。
これは、当時京にあった朝廷から「こっち(京)へ来るな!」と言われていた地名ということです。酷いですよね。
「マイナー・史跡巡り」の中尊寺金色堂シリーズで描いていますが、結局朝廷は力があるけど従わない東北の蝦夷(えみし)を敵視すること甚だしい歴史の傷が、この「不来方」という名前にあるのです。
全然ロマンチックでないですね。それで南部氏は、この城の名前が良くないと考え「盛岡城」にしたようですよ。
また長くなりました。最後までお読みいただき、ありがとうございました。