皆さん良くご存じの歴史に名が残りそうな(?)2つのパイの話をさせてください。
我が家は子供たちを含め、結構この2つのパイが好きです。(写真①)
なんとなく、これらの菓子をバリバリ食べながら思いつくことがありましたので、Tsure-Tsureなるままに書いていきます。
1.源氏パイ
発売された1965年の翌年の大河ドラマが「源義経」だったので、それにあやかり作りました。
大河ドラマがきっかけとは、ちょっと軽くないでしょうか?
ただ、大河ドラマがTVで放映されはじめたのが、この「源義経」の2年前の1963年で、放送自体が始まったばかりでした。
グラフ②を見て下さい。(グラフ②)
「源義経」が始まる前の2年間(1964、1965年)は、平均視聴率がなんと30%以上です。
ピーク時には50%を超えていたそうです。
これだけ視聴率が高いと、次のドラマ「源義経」にも俄然期待が掛かり、お菓子メーカーが、その上り調子にあやかり、「源氏パイ」と命名する気持ちも分かります。
そして、あのハート形の菓子の形状ですが、この理由が、那須与一が屋島の戦いで射抜いた扇の形なのだそうです。(写真③)
ただ、大河ドラマがTVで放映されはじめたのが、この「源義経」の2年前の1963年で、放送自体が始まったばかりでした。
グラフ②を見て下さい。(グラフ②)
グラフ② 大河ドラマの平均視聴率の推移 出典:http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3967.html ※クリックすると拡大します |
「源義経」が始まる前の2年間(1964、1965年)は、平均視聴率がなんと30%以上です。
ピーク時には50%を超えていたそうです。
これだけ視聴率が高いと、次のドラマ「源義経」にも俄然期待が掛かり、お菓子メーカーが、その上り調子にあやかり、「源氏パイ」と命名する気持ちも分かります。
そして、あのハート形の菓子の形状ですが、この理由が、那須与一が屋島の戦いで射抜いた扇の形なのだそうです。(写真③)
③那須与一に射貫かれた扇?? ハートにしか見えない‥(笑) |
50年以上の伝統あるこのお菓子、意外にも単純な命名経緯に、義経も頼朝もびっくりしたことでしょう(笑)。
しかし、世間は「源氏パイ」程、甘く(?)はないのですね。「源義経」はグラフ②にあるように23.5%と20%代に落ちてしまいました。
しかし、世間は「源氏パイ」程、甘く(?)はないのですね。「源義経」はグラフ②にあるように23.5%と20%代に落ちてしまいました。
2.平家パイ
流石に50年前だと、源氏パイのような、今ではちょっと考えつかないような命名経緯になってしまうのかなあと思ったのですが、じゃあ平家パイは?と調べますと、2012年の大河ドラマが「平清盛」だったので、それにあやかったそうです。(;'∀')
50年間、命名の考え方に全く進歩が無い事自体驚きです(笑)。
しかも「平清盛」の視聴率は、大河ドラマ始まって以来最低の12.0%。
それも2008年の「篤姫」以降3年連続で視聴率が落ちているのですから、とても50年前のように「大河ドラマにあやかる」とは程遠い状況だったように見えるのです。
しかも「平清盛」の視聴率は、大河ドラマ始まって以来最低の12.0%。
それも2008年の「篤姫」以降3年連続で視聴率が落ちているのですから、とても50年前のように「大河ドラマにあやかる」とは程遠い状況だったように見えるのです。
と、これ以上命名について批評するのは控えます。私も一時、今あるサービスの命名で1か月以上議論していた無益な経緯を知る者の一人ですから、きっとこのお菓子の命名についても何人もの苦労された方がいらっしゃるだろう事に同情の念を禁じ得ません。
このように、命名における視聴率では、源平パイ合戦、物の見事に史実と同じ、源氏パイの勝でした(笑)。
さて、平家パイ。写真④のような形ですが、何でもこれは「源氏軍の矢や槍を受ける盾」をイメージして作られているとか。(写真④)
しかし、盾であるにも係わらず2分割に割れやすいように、ミシン目が入っています。
まあ、色々と矛盾がある盾(?)ですが、それもそのはず、2012年の「平家パイ」の命名以前は「レーズンパイ」として売っていたものを改名したのですから・・・・💦
3.源氏の違いとパイの構造の違いについて
さて、平家パイ。写真④のような形ですが、何でもこれは「源氏軍の矢や槍を受ける盾」をイメージして作られているとか。(写真④)
しかし、盾であるにも係わらず2分割に割れやすいように、ミシン目が入っています。
④平家パイ(レーズンパイ) |
3.源氏の違いとパイの構造の違いについて
とはいうものの、私はこの2つのお菓子に隠された、真の命名の考え方に気が付いてしまいました!
まず、源氏パイです。
源氏は後三年の役の源義家が私財を投げうって、家子や郎党へ「御恩」を与えたことから、「一所懸命」という奉公の概念がしっかりと確立しました。
これが後の源氏再興後の強固な「縦」の関係へと発展したことが、鎌倉幕府の存続に繋がったのです。(図⑤)
この考え方に合うように、源氏パイも縦に割れやすいのです。(写真⑥)
これは、このお菓子を食べられる方、感じることが多いのではないでしょうか?
割れますよね。写真⑥のように。ボロボロと(笑)。
さて、次に平家パイの検証です。
平家は、前回の「マイナー・史跡巡り 為朝の矢① ~保元の乱~」で書きました保元の乱における源氏一族の仲違いによる衰弱化を反面教師にして発達したため、一族「横」通しの連携を強めました。(写真⑦)
なので、平家パイも、源氏パイとは対称に、横方向にボロボロと割れやすいのです。(写真⑧)
このように、源氏パイと平家パイは、そもそもの源氏社会、平家一門の形に合わせて、作られた崇高なお菓子ではないかと考えるのは私だけでしょうか?
どう思われます?
4.おわりに
源平パイ合戦、お楽しみいただけましたでしょうか?
このかるーい推定の源氏側の事実を確かめるべく、これから夏休みを使って、東北に行ってきます。前九年の役と後三年の役、衣川の戦い等を調べてきます。
これらの調査結果も「マイナー・史跡巡り」でご報告致しますので、ご期待ください。
それではまた!!
まず、源氏パイです。
源氏は後三年の役の源義家が私財を投げうって、家子や郎党へ「御恩」を与えたことから、「一所懸命」という奉公の概念がしっかりと確立しました。
これが後の源氏再興後の強固な「縦」の関係へと発展したことが、鎌倉幕府の存続に繋がったのです。(図⑤)
⑤源氏に見られる「縦」関係 |
この考え方に合うように、源氏パイも縦に割れやすいのです。(写真⑥)
これは、このお菓子を食べられる方、感じることが多いのではないでしょうか?
割れますよね。写真⑥のように。ボロボロと(笑)。
⑥縦に割れやすい源氏パイ |
さて、次に平家パイの検証です。
平家は、前回の「マイナー・史跡巡り 為朝の矢① ~保元の乱~」で書きました保元の乱における源氏一族の仲違いによる衰弱化を反面教師にして発達したため、一族「横」通しの連携を強めました。(写真⑦)
⑦「横」の連携の強い平家一門 ※須磨寺の展示物 |
⑧平家パイは写真のように中を 幾重にも重ねたパイなので、 横方向にボロボロ崩れやすい |
どう思われます?
4.おわりに
源平パイ合戦、お楽しみいただけましたでしょうか?
このかるーい推定の源氏側の事実を確かめるべく、これから夏休みを使って、東北に行ってきます。前九年の役と後三年の役、衣川の戦い等を調べてきます。
これらの調査結果も「マイナー・史跡巡り」でご報告致しますので、ご期待ください。
それではまた!!
---Blog「マイナー・史跡巡り」(為朝の矢① ~保元の乱~)