映画「ボヘミアン・ラプソディ」

私も見てきました。「ボヘミアン・ラプソディ」(写真①)。
①映画「ボヘミアン・ラプソディ」のポスターになる有名なシーン

こちらは実際のLive-Aidでのフレディのポーズですよ
映画のポスターは俳優さんですが

勿論、もろ中学生の思春期から、MTV盛んなりし日のLive-Aidまで、Queenの1ファンとして過ごしてきた一人ですので、感動しない訳がありません(笑)。

映画の前半では、種々のエピソードに感心しながら観ていましたが、一方で、私は13歳から聞き始めたQueenの思い出が次々に心に浮かんできました。

中学生の時、夜のスキー場で初めて聞いた「Save Me」(写真②)。
間奏のキーボードとギターソロの透明感が、一面の銀世界へ溶け込む忘れられない情景。

私がQueenを知ったのは、中学2年生の時に長野志賀高原にスキーに行った時です
ABBAやBilly Joel、BostonやToTo、更にはBeatles等を誰かが持って来た
ステレオカセットデッキで皆で聞
きながら、ドミトリーで盛り上がっていました。


私は暑くなった部屋の窓を開け、2mもの積雪の銀世界を皆で眺めていた時に、
バックに流れていたのがQuee
nの「Save me」でした。


曲の間奏のキーボードの透明感と、その後にギターソロの透明感(?)が、
一面真っ白な雪の透明感とマッチして
おり、
思春期の私の中では今でも忘れられない情景として
思い出されます。

友達と「Killer Queen」のサビの部分に「シーイズ ア キラークイーン、頑張れ!田淵。」と聞こえると何度もカセットテープを巻き戻し聞きながら笑った放課後。

好きだと言われた女の子に「玉木の笑顔の横顔が、ブライアン・メイの横顔に似ている」と言われ、即座に横に居た他の女の子に「玉木はそんなにハンサムではない!」と一刀両断にされて落ち込んだこと。

中3の学芸会の地獄の場面でQueenの「フラッシュ・ゴードン」の曲をEditして使ったこと。

ブライアン・メイは大学で物理学を専攻し、彼のギターも、自分の家の暖炉の木を加工して作ったハンドメイドギターであると知り、高校で買ったレスポールギターをなるべくこのギターに似たサンバーストモデルにしたこと(写真③)。

③ブライアン・メイは物理学を専攻する大学生で、理系的な要素が強く、
彼のギターも、自分の家の暖炉の木を加工して作った
ハンドメイドギターであると知りました。

そして、彼の工学的知識から、普通のエレキギターでは出せない
音を出していることも知り、インテリ的なギタリストなんて
かっこええと感心したものです(笑)。

彼の対位法という演奏方法は、このオリジナルのギターと
VOXのアンプとの相性で、ディストーションサウンドでありながら、
透明度の高い雰囲気が出せるのだと思います。


ブライアン・メイは、ギタリストなのに理系専門家ってかっこええやんと思い、日本史の方が得意なのに無理に理系に進学した事(笑)。

そして苦手な理系の勉強もせずに、ギターばかり弾いていた浪人時代にLive-Aidが開催され、またまた勉強もせずに徹夜でQueenを含む、大物バンドの出現にただただ興奮するばかりだった夏(笑)。etc...

色々な想い出と共に、映画の終盤、あのジーンズに白いシャツのフレディと一緒にLive-Aidのコンサート会場に上がった気分でした。(写真④)

映画と同じRadio GaGaの1シーンですね。
こちらは本物のフレディです

本物の方が足の長さと、胸板の厚さは圧倒的です(笑)
映画を観て感動された方は分かると思いますが、その後はまるで魔法ですね。

Live-Aidで同じ舞台を見ているはずなのですが、鳥肌が立つわ、涙が止まらないわで大変でした(笑)。13歳から何度も聞いたことがあるQueenの曲の歌詞が、こんなにも心の琴線を鳴らすというか、掻き鳴らすものなのか。

Queenの事が少しでも好きな方は視聴必須の映画だと思います。

最後に本物のQueenのLive-AidでのLiveを動画でお楽しみください。


最後までお読み頂き、ありがとうございました。


映画「ミッション・インポッシブル」と大阪市科学館

大阪市立科学館と映画に行ってきました。

◆「ミッション・インポッシブル」(写真①)
小さい頃、「スパイ大作戦」の曲がかかり、ドラマが始まっても、なんとなく「007」の二番煎じのように感じていた私は、あまりこのドラマには興味がありませんでした。しかしトム・クルーズの躍動感あるアクションで、このシリーズの印象はガラっと変わってしまいました。(古いドラマが好きな方はごめんなさい。)

①「ミッション・インポッシブル」

5作目の今回、相変わらず話のデティルを追おうとすると、かなり複雑なのですが、ストーリーはマクロに把握し、後はトム・クルーズのアクションだけで十分堪能できます。このように「これでもか、これでもか」的な超人的なアクションの連続を見せる手法って、昔の映画「スピード」から始まった気がしますが、いかがでしょうか?
兎に角、エンディングで小さい頃から良く聞いた「スパイ大作戦」の曲が流れた時には、この曲の持つ緊張感と押せ押せのリズム感が、今見たばかりの連続するアクションの緊張感を継続させ、全く古臭さを感じさせませんでした。

同時に、50代になっても人を喜ばせようと走り回るトム・クルーズの姿勢は、同じ世代に成った私も見習わねばと、軽い感動を曲の最中に感じてしまいました(笑)。

◆大阪市立博物館(写真②)
子供の夏休みの宿題対応兼ねて堂島にある大阪市立博物館にも行きました。物理等の基礎的な事が沢山学べて面白いです。しかし、マイナー史跡は私しか居ないのに、ここの人の多い事・多い事!(笑)

プラネタリウムは我々が購入すると、この日の分は全部売り切れてしまい、後ろの列の方々には申し訳なかったです。

懐かしいと思った技術的なものは沢山あったのですが、この写真の腕時計型コンピュータ、実物を見たのは初めてです。発売当時は高校生ですが、2年後に工学部に入学すると、これと似たようなポータブルコンピュータを購入させられましたね。電気回路のシュミレーションプログラムをBASICで組んだり、当時は結構使えましたよ。しかし、それを腕に付けようとは発想だにしませんでしたが(笑)。

②世界初の腕時計型コンピュータ

今ではバブル、バブルと揶揄される時代ですが、日本の技術陣は本当に色々チャレンジして頑張っていたのですよね。

COMITA126参加報告

本日、東京ビックサイトでCOMITA126が開催され、同人誌で参加させて頂きました小生も印刷された本を、20冊購入に出掛けました。(写真①)

①COMITA126会場模様
PCでイラスト描いている高校生の次男坊が、コミケにも参加し興味があるので、連れて行ったところ、「親父は、F77aに並んで!俺は た51abに並ぶから!」みたいに会場で激を飛ばされ、彼が1列終わるまでに私は4列買わされるという、振り回され方でした(笑)。(写真②)

②会場内で同人誌を買う筆者(右端)
息子の戦利品が写真③です。彼もペンタブを使いPCでイラストを描くので、色々と自分が好きな絵師のイラストを買い込み、勉強するのだそうです。(写真③)

③息子(次男坊)の戦利品
私の戦利品が写真④です。自分の同人誌「奥州南部氏アンソロジー」が20冊以上、その他、Twitter等で知り合った牛若丸をモデルに描いている「ことさん」の漫画一式や、下中央右側の黒いのは南部信直Tシャツです。背中の南部氏紋章「向鶴」が気に入っています(笑)。また、私と同じ職場の方々も、わざわざ購入に来てくれて、記念にくれたものもあります。本当に感謝ですね。(写真④)

④私の戦利品
そして何より、今回の主催者たねさんから、執筆のお礼の手書きの手紙や、無料で一冊同人誌を配本頂きました。ありがとうございます。(写真⑤)

⑤同人誌の配本
同封されていた「南部あわせ茶」は、ちょうど私が舞台とした山梨県南部町(奥州ではありませんが・・・)の特産品です。

実は、私も今日初めて、この同人誌の中味を見たのですが、つい先ほど全部読み終わりました。帰宅してから貪るように全部一気に読んでしまいました。

自分で言うのもなんなのですが、素晴らしいアンソロジーです。描かれている著者の創意工夫が読むなかの随所に見られます。漫画が主体なのですが、やはりギャグやユーモアの裏にも、南部氏に対する深い造詣と愛情が見え隠れし、読んでいるうちに笑いながらも温かい気持ちになり、最後は感涙すら覚えてしまいました(笑)。

何処かに奉納したくなる一冊です(笑)。

COMITAは初めてでしたが、こんな素晴らしい企画からとりまとめ、COMITAへのエントリー、印刷全てを取り仕切ったたねさんに深く深く感謝しています。

昨年夏に、たった1度しか九戸城や盛岡城に行っていない私が、ここまで南部氏に関する発行物にご縁が持てたこと、偶然な気がしません。たねさんの漫画記事も読んで、もう一度不来方城(盛岡城)に行きたくなりました。盛岡城に一冊寄贈したいなあと思っています。

皆さま、お蔭様でCOMITAに出展できましたこと、本当にありがとうございました!また「マイナー・史跡巡り」のBlogに戻りたいと思います。

ConnectLive2018活動報告③ ~Facebook本社など~

今日はGoogle本社イベント前のプレ調査です。このレポートの基盤をご提供頂いているFacebookの本社に行ってきました。(写真①)

①Facebook本社前の有名な看板

沢山の人がこの看板の前でポーズをとるのですが、ここで気が付いたことが2つ。
1つは、この場所でのUber利用は禁止のようです(笑)。

まあハイウエー101に面したこの看板の前は確かに乗り降りは危険ですが、このような看板を出さなければならない程、Uberの利用が盛んなのですね。流石、ITの先端を行くSFOの有名地だと感心しました(写真②)

②有名なFacebook看板前でのUberは禁止(笑)
もう1つは、ちょっと分かりにくいかもしれませんが、写真③はこのFacebookの看板の裏側を写したものです。「SUN Microsystems」とあの有名だったSUNのロゴが描かれているのです。ここはかつての、IT(情報技術)機器大手の米サン・マイクロシステムズの旧本社だったのですね。わざわざその看板の裏を使わなくても良さそうなものですが、やはりFacebookも方向性を誤るとSUNのようになるぞ!という戒めの意味もあるのですかね?(写真③)

③実はこの有名なFacebookの看板は元々Sun Microsystemsの看板の裏利用

あと、今日はスタンフォード大学(写真④)や、お約束の金門橋(写真⑤)も、私の運転で今回のイベント参加の仲間たちと一緒に見て廻りました。

④スタンフォード大学

⑤金門橋

ConnectLive2018活動報告② ~SFへ~

とうとうこの日がやって来ました。

サンフランシスコのGoogleさんのイベントに参加して参ります。(写真①)

①アメリカと言えばSTAR WARS(笑)

羽田空港の出発ロビーTIATは、ハロウィンと和風が渾然一体となっているのが楽しい季節です。

紅葉も日本のこれからを先取る様で良いですね。(写真②)

②羽田国際空港TIATは既に紅葉(笑)

出国前のラーメンは、何故か「せたが屋」。今回は息子と一緒に食べることが出来ました。(写真③)

③「せたが屋」のつけ麺食べずして海外へ行けるか?

また沢山報告させて下さい。

南部の郷


山のあなたの 空遠く
 さいわい住むと人のいう

ああ われ人と尋(と)めゆきて
 涙さしぐみ かえりきぬ

山のあなたに なお遠く
 さいわい住むと人のいう


これは1枚目の写真(写真①)を撮った風景の下にあった看板に書かれていた詩です。

①身延山奥之院から南西にある七面山方面を臨む

この詩の前に、「遠くの山並みをご覧になりながら上田敏の名訳によるカール・ブッセの美しい詩も味わい下さい。」とも書いてありました。

本当にそんな感じの風景ですよね。

場所は身延山奥之院。実はここと写真①にある山は、日本を糸魚川から真っ二つに分断しているフォッサ・マグナによって分け隔てられているのです。

標高1153mもありますので涼しく、2枚目の写真(写真②)のように富士山の景色も抜群です。

②①とは反対側東側に位置する富士山

今回、身延山に来たのは、南部氏のルーツを探りに山梨県の南部町を中心に色々と調査をしているのです。身延山は日蓮聖人が南部実長(さねなが)公とお会いになった後、開山したのです。

写真③は日蓮聖人が南部実長公が身延山へ行く前に会われた当時の南部氏の菩提寺・妙浄寺の賽銭箱なのですが、東北の南部氏と同じ「向鶴の紋」が使われています。

③正に南部氏の家紋「向鶴」

写真④は南部館跡で、今は井戸しか残っていません。

④南部氏館跡は民家の中に入って行って初めて見つかりますので、発見するのに苦労しました(笑)。

この館、富士川の直ぐ横にあります。(写真⑤)

⑤南部氏の館の直ぐ横が富士川になります。七面山と身延山の方を眺めるとこんな感じ。

南部氏がここに来た当時もこんな感じの景色が広がっていたのでしょうか?

まさに、最初のカール・ブッセの「さいわい住む人」ってここの南部氏にピッタリだと思いませんか?

また南部氏の源流についても描きたいと思います。

【関連リンク】中尊寺金色堂 小話⑪ ~東北調査紀行7~

楠木正成の史跡巡り② ~神戸方面~

 昨日は楠木正成第2弾ということで、主に神戸の湊川神社を中心に調査しました。(写真①)
① 湊川神社
難攻不落の千早城で北条軍を引き付けている間に、鎌倉幕府を攻め滅ぼした新田義貞。新田義貞の縁戚にあたる足利尊氏は朝廷側だったとは言え、気に入りません。結局「建武の新政」等とイノベーション的な事を言っても、中身は王政復古。保守的なことをしようとする後醍醐天皇らに反発する武家を集め、足利尊氏が反旗を翻します。

 ところが足利尊氏は、芦屋市の打出浜で楠木正成軍にやっつけられ敗退。(写真②)
②打出浜の戦いの碑  ※この戦は楠木正成が足利尊氏に勝ちました
しかし、九州でまた勢力を盛り返した足利尊氏は、会下山(えげやま)を中心に布陣する楠木正成と新田義貞軍を破るのです。これが「湊川の戦い」の超ダイジェストです(笑)。(写真③)

③「湊川の戦い」の碑 ※この戦は楠木正成は足利尊氏に負けてしまいました。
ここは、神戸が一望に見渡せるスポットにもなっており、戦(いくさ)の時も沖に居た細川水軍(足利尊氏側)も良く見渡せたのでしょう。(写真④)
④碑の立つ会下山から神戸方面の景色 ※神戸夜景スポットの1つです。
四字熟語にもなる程有名な七生報国を最期に誓い、弟と刺し違えた正成。

 後世、大日本史の編纂で有名な水戸光圀(水戸黄門ですね!)によって、墓を再建され、「嗚呼忠臣楠子之墓」(ああ、天皇に忠臣である楠木氏の墓)と揮毫された字が有名です。(写真⑤)
⑤水戸黄門が書いた「嗚呼忠臣楠子之墓」
最後に、この湊川神社のお稲荷さんが玄妙な雰囲気を醸し出していたので写真を追加します(笑)(写真⑥)
⑥楠木正成の墓の隣にあるお稲荷さん
詳細はまた秋以降のBlogで描きますね。良い関西旅行でした。
ありがとうございました。