中尊寺金色堂 小話① ~じゃじゃ麺~

私のマイナー史跡巡りという行動は、現地に向かう前の事前調査も少なく、計画性も無く、行った先の史跡で「あ、そうなんだ!じゃあ、これはどこで起きたのかな?」と呟きながら、リアルタイムでググります。

すると、その史実に関しての知識と同時に、関連史跡も分かるので、次にその中で興味のある史跡へ移動します。

そこでまた「あ、そうなんだ!じゃあ、・・・」の連鎖により、段々分かってくるという感じです。

本当に最近はIT化で便利な世の中になりました。かなりマイナーな史跡でも、Google検索と、GoogleMapさえあれば、最短で到着できます。

スマホさえあれば、効率よく情報を探し、行動できる時代。最近は写真のように、車据え付けのカーナビよりも、GoogleMapのカーナビの方ばかり使います(笑)(写真①)
①車載のカーナビよりスマホのGoogleMapを使う

中学生の頃は、図書館で国土地理院の地図を開き、一生懸命その史跡を調べ、現地でも詳細の場所はどこか分からず、半日歩き廻り史跡を探すのが当たり前でした。

その頃に比べると隔世の感があります。

しかし、効率が良くなった分だけ、弾丸のような史跡訪問行程となり、今度は移動時間・食事時間が勿体なく感じてきました。
そこで日本全国何処に行っても、トイレ、公衆無線LANによる情報収集、美味しいコーヒー、朝飯・昼飯の利用、全てコンビニばかりとなってきております。

こればかりだとさすがに哀しく感じることもあります(笑)。

そこで、今回盛岡に行ったこともあり、せめてもの贅沢(大笑)として、盛岡名物じゃじゃ麺を食べました。(写真②)
②本場盛岡市で食べたじゃじゃ麵

◆ ◇ ◆ ◇
※以降の写真も全て食す前の写真ですので、ご安心して閲覧ください(笑)。

じゃじゃ麺、東京でもたまに社食等で昼に食べたりします。
汁気の無い麺は焼きそばでもなんでもそうですが、鉄板上でジャージャー音がしますから、この麺もその音で東北の人がこの名前を付けたのだろうくらいに思っていました。

Wikiで調べると、元々は中国の家庭料理の1つなのですね。じゃじゃも中国語で「炸醤麺(ジャージアンミエン)」から来ているとのこと。

③コンビニでゲットしたじゃじゃ麺
ただ、コンビニ等でも売っているじゃじゃ麺は、本場とは違って、砂糖などを用いたた甘みが強く、さらに唐辛子や豆板醤などで辛めの味付けがされているのだそうです。

また麺もラーメンなどと同じものが使われていることが多いのだそうで、それで私が「焼きそば等と同じ無水の麺」と感じたのだと思います。(写真③)

で、結局岩手県は盛岡市のじゃじゃ麺が、中国の家庭料理の伝統を一番継承しているとのこと。

私が食べたお店は、「不来方(こずかた)」というお店で、盛岡市内では3番目に古い、じゃじゃ麺の老舗ということで宿泊したホテルから紹介されました。(写真④)
④盛岡市の老舗「不来方」(こずかた)

夏休みとは云え、日曜日の夜だけあって、お店には人があまり居ない、というか私しか居ない状況でしたが、その分、ご店主から色々とじゃじゃ麺について教えて頂けました。

まず、じゃじゃ麺の麺ですが、先程、ラーメンのような無水の麺ではなく、平たいきし麺のような独特の麺を使うのが本場であり、不来方でも写真⑤ような平打ちうどんかきし麺のように感じられる独特の麺でした。(写真⑤)
⑤麺はきし麺のような独特の平麺

これに、特製の肉味噌とキュウリ、ネギをかけ、好みに合わせたトッピング(私の場合はチャーシューです)をします。(写真⑥)
⑥肉味噌とキュウリ、肉味噌の奥にネギ、
チャーシューのトッピングと右は薬味類

そして、これに、薬味としてラー油、お酢、おろしショウガやニンニクをかけ、グワーッと良くかき混ぜ、写真⑤のような状態にします。

この肉味噌とキュウリと麺等が良く絡んで、甘辛くとても美味しいです。ラーメンとも和麺とも違うこの食感は独特ですね。東京で食べるじゃじゃ麺とも違い、独特の盛岡らしさを感じます。

食べながら、ふと目に留まったテーブル上写真⑦左の”ちーたんたん”。
「これは何ですか?」とご店主に聞きましたところ、写真⑦の右側ようなものであることが分かりました。(写真⑦)
⑦ちーたんたん
うどん・そば等の和麺によくある「蕎麦湯」をベースにして卵で溶いたスープです!

これもなかなかでした。「蕎麦湯」って栄養価が高いと言われていますよね。やはり盛岡じゃじゃ麺も独特とは云うものの、和麺と同じような製作方法で、その茹で汁は栄養価が高く、スープにするのですね。

この盛岡じゃじゃ麺、ご店主のお話ですと、戦前の旧満州で、中国人たちが寒い冬等に良く食べる家庭料理の味が忘れられず、終戦後、盛岡に復員されてきて、日本の麺等の食材を使って屋台を始めたのが始まりだそうです。

そして盛岡の人たちの舌に合うようにアレンジを繰り返し、「じゃじゃ麺」としての独特の味を形成したのだそうです。

宇都宮餃子と同じような経緯ですね。

面白いのは、宇都宮餃子も満州でのスイトンから。このじゃじゃ麺も満州。

満州は冬場はかなり寒いのです。

盛岡等東北も宇都宮もかなり寒い土地で満州に似ています。そういう気候の共通性もあるので、親しみやすい料理となったのではないでしょうか?

◆ ◇ ◆ ◇
「不来方(こずかた)」って洒落た名前をお店につけたなあと、この時は思いましたが、翌日見て廻った市内の「盛岡城」は、地元の南部氏に盛岡と名付けられる前570年間は「不来方城」と呼ばれていたことを初めて知りました。(写真⑧)
⑧盛岡城は570年間「不来方城」だった

また、岩手を代表する石川啄木の詩に
⑨盛岡城にある啄木の詩

不来方(こずかた)の
お城の草に寝ころびて
空に吸はれし十五の心

というのがありましたね。(写真⑨)

この不来方という地名、お店でちょっと洒落ているなあと感じたのは、「来ない方」なんて、山下達郎の大ヒット曲「クリスマス・イブ」の中の「きっと君は来ない」の歌詞を彷彿させるじゃないですか。恋愛チックでロマンスがあるなあと思ったのです。

ところが、由来を調べると福島県いわき市の勿来(なこそ)と同じで、「来ないで欲しい方」、勿来も「な来(こ)そ」すなわち「来るなかれ」。

これは、当時京にあった朝廷から「こっち(京)へ来るな!」と言われていた地名ということです。酷いですよね。

「マイナー・史跡巡り」の中尊寺金色堂シリーズで描いていますが、結局朝廷は力があるけど従わない東北の蝦夷(えみし)を敵視すること甚だしい歴史の傷が、この「不来方」という名前にあるのです。

全然ロマンチックでないですね。それで南部氏は、この城の名前が良くないと考え「盛岡城」にしたようですよ。

また長くなりました。最後までお読みいただき、ありがとうございました。


為朝の矢 小話① 源平パイ合戦

皆さん良くご存じの歴史に名が残りそうな(?)2つのパイの話をさせてください。
我が家は子供たちを含め、結構この2つのパイが好きです。(写真①)
①源氏パイと平家パイ
なんとなく、これらの菓子をバリバリ食べながら思いつくことがありましたので、Tsure-Tsureなるままに書いていきます。

1.源氏パイ

発売された1965年の翌年の大河ドラマが「源義経」だったので、それにあやかり作りました。
大河ドラマがきっかけとは、ちょっと軽くないでしょうか?

ただ、大河ドラマがTVで放映されはじめたのが、この「源義経」の2年前の1963年で、放送自体が始まったばかりでした。

グラフ②を見て下さい。(グラフ②)
グラフ② 大河ドラマの平均視聴率の推移
出典:http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3967.html
※クリックすると拡大します

「源義経」が始まる前の2年間(1964、1965年)は、平均視聴率がなんと30%以上です。
ピーク時には50%を超えていたそうです。

これだけ視聴率が高いと、次のドラマ「源義経」にも俄然期待が掛かり、お菓子メーカーが、その上り調子にあやかり、「源氏パイ」と命名する気持ちも分かります。

そして、あのハート形の菓子の形状ですが、この理由が、那須与一が屋島の戦いで射抜いた扇の形なのだそうです。(写真③)

③那須与一に射貫かれた扇??
ハートにしか見えない‥(笑)

50年以上の伝統あるこのお菓子、意外にも単純な命名経緯に、義経も頼朝もびっくりしたことでしょう(笑)。

しかし、世間は「源氏パイ」程、甘く(?)はないのですね。「源義経」はグラフ②にあるように23.5%と20%代に落ちてしまいました。

2.平家パイ

流石に50年前だと、源氏パイのような、今ではちょっと考えつかないような命名経緯になってしまうのかなあと思ったのですが、じゃあ平家パイは?と調べますと、2012年の大河ドラマが「平清盛」だったので、それにあやかったそうです。(;'∀')

50年間、命名の考え方に全く進歩が無い事自体驚きです(笑)。

しかも「平清盛」の視聴率は、大河ドラマ始まって以来最低の12.0%。

それも2008年の「篤姫」以降3年連続で視聴率が落ちているのですから、とても50年前のように「大河ドラマにあやかる」とは程遠い状況だったように見えるのです。

と、これ以上命名について批評するのは控えます。私も一時、今あるサービスの命名で1か月以上議論していた無益な経緯を知る者の一人ですから、きっとこのお菓子の命名についても何人もの苦労された方がいらっしゃるだろう事に同情の念を禁じ得ません。

このように、命名における視聴率では、源平パイ合戦、物の見事に史実と同じ、源氏パイの勝でした(笑)。

さて、平家パイ。写真④のような形ですが、何でもこれは「源氏軍の矢や槍を受ける盾」をイメージして作られているとか。(写真④)

しかし、盾であるにも係わらず2分割に割れやすいように、ミシン目が入っています。
④平家パイ(レーズンパイ)
まあ、色々と矛盾がある盾(?)ですが、それもそのはず、2012年の「平家パイ」の命名以前は「レーズンパイ」として売っていたものを改名したのですから・・・・💦

3.源氏の違いとパイの構造の違いについて

とはいうものの、私はこの2つのお菓子に隠された、真の命名の考え方に気が付いてしまいました!

まず、源氏パイです。

源氏は後三年の役の源義家が私財を投げうって、家子や郎党へ「御恩」を与えたことから、「一所懸命」という奉公の概念がしっかりと確立しました。

これが後の源氏再興後の強固な「縦」の関係へと発展したことが、鎌倉幕府の存続に繋がったのです。(図⑤)
⑤源氏に見られる「縦」関係

この考え方に合うように、源氏パイも縦に割れやすいのです。(写真⑥)
これは、このお菓子を食べられる方、感じることが多いのではないでしょうか?
割れますよね。写真⑥のように。ボロボロと(笑)。

⑥縦に割れやすい源氏パイ

さて、次に平家パイの検証です。

平家は、前回の「マイナー・史跡巡り 為朝の矢① ~保元の乱~」で書きました保元の乱における源氏一族の仲違いによる衰弱化を反面教師にして発達したため、一族「横」通しの連携を強めました。(写真⑦)

⑦「横」の連携の強い平家一門
※須磨寺の展示物
なので、平家パイも、源氏パイとは対称に、横方向にボロボロと割れやすいのです。(写真⑧)

⑧平家パイは写真のように中を
幾重にも重ねたパイなので、
横方向にボロボロ崩れやすい
このように、源氏パイと平家パイは、そもそもの源氏社会、平家一門の形に合わせて、作られた崇高なお菓子ではないかと考えるのは私だけでしょうか?

どう思われます?

4.おわりに

源平パイ合戦、お楽しみいただけましたでしょうか?

このかるーい推定の源氏側の事実を確かめるべく、これから夏休みを使って、東北に行ってきます。前九年の役と後三年の役、衣川の戦い等を調べてきます。

これらの調査結果も「マイナー・史跡巡り」でご報告致しますので、ご期待ください。

それではまた!!

クロアゲハ羽化2

今日、妻から昼休みにLINEがあり、「もう1匹、カボスにクロアゲハの大きな幼虫がいるから確保しようか?」と相談して来ました。

実は、既に我が家には写真①のような大きな幼虫2匹がいるのですが、これが凄い大食漢。庭のカボスの葉の供給力の限界に来ているのです。

①大食漢の2人

前の記事でも書きましたが、奴ら産み付けられた木の葉しか絶対に食べないのです。柑橘系の木(みかん、カボス、山椒も)なら、アゲハは何でも卵を産み付けますが、幼虫の方は、卵が付着した木の葉や茎しか絶対に食べません。同じ種類の木だから大丈夫だろうなんてあげても、何故か飢えても食べずに死んでいくのです。それだけ親であるアゲハを信頼しているのですかね?親が「ここなら大丈夫!」といって産み付けた木の葉なら育つことが出来ると・・・。

ちょっとの間、そんな事を考え、ちらっと禿禿になるカボスを想像しました。
しかし、ここは人命救助(幼虫命救助?)の観点から、「そうだね。鳥に食べられないうちに確保してあげないとね。」と返信しました。

次の妻のリプライは、「カボスにもう居ないや。既に鳥にさらわれたみたい。」

私「・・・」

◆ ◇ ◆ ◇

実は2週間前、前回の記事でご報告した後、また1匹、写真②のように蛹(さなぎ)になりました。以前のレポート時の時の蛹は茶色だった(ここをクリック)のですが、今回の蛹は緑色をしていました。

②今回は緑の蛹(さなぎ)


なので、「ん、これは前回のクロアゲハとは違う種類のアゲハだな。きっと。」と思って羽化を心待ちにしておりましたところ、何と出て来たのは写真③のように、やはりクロアゲハ。ちょっとがっかり、みたいに思いつつも、前回同様に庭で放しました。
③羽化したばかりのクロアゲハ
ところが、なんとコイツ、飛べないのです。ちょっと飛ぶのですが、直ぐに落ちてバタバタします。どうやら右側の羽が伸びきらないで、少々皺のままなのが原因のようです。

かわいそうに、蛹から孵る時に、羽を上手く蛹のカラから出せなかったのでしょう。
自然界だったら、また即、鳥の餌食です。
もしかしたら、ずっと飛ぶことは出来ないかもしれません。そこでしばらく脱脂綿に砂糖水を作って、ケースの中で飼おうということになりました。

◆ ◇ ◆ ◇

やはり、先にお話ししたちょっと見ぬ間に食べられてしまった大きな幼虫も、このアゲハもそうですが、我々はヒラヒラ飛んでいる蝶を見ると、卵から幼虫を経て、蛹から蝶へと華麗な転身を行うのが、蝶としての一生として当たり前のように、つい思ってしまいます。

しかし、実際には、そもそも蛹直前の大きさの幼虫になれることすら、大変なことなのです。ここまでに成れるのは幼虫全体の100分の1だそうです。
だから、幼虫も懸命です。自分の体が大きくなっていく、目立つ状態を晒している時間をなるべく短くしようと、大至急葉っぱを大量に食べて、蛹になろうとしているのです。
単なる食いしん坊ではないのです。生きるのに、鳥に食べられないようにするのに懸命なのです。

それでも殆ど鳥にたべられる。

そして蛹。これも危ないです。何といっても全く移動できないのですから。懸命に見つけられづらい場所を探すのです。そして、木の枝の裏に隠れて蛹になる幼虫は茶色に。それ以外の場所で蛹になる幼虫は、葉っぱに見せかけるため緑色になるのです。

それでも、見つかって食べられちゃいます。そして、最後の難関である羽化を乗り越え、やっとやっと蝶になれても、今回のように羽化で何か失敗して飛べなければ、やはり鳥に食べられて終わりです。なんと過酷な生存競争なのでしょう。

卵を産み付けたアゲハは、200分の1の難関を潜り抜けて来たエリート中のエリート、だから子供である幼虫は、この親に絶対の信頼を置くのです。

また、途中で脱落していった愛すべきアゲハの幼虫や蝶は、このエリート蝶の踏み台になっているようなものです。代わりに鳥に食べられてあげているのです。無駄死ではなく、絶対必要な存在なのです。

◆ ◇ ◆ ◇

蝶は1週間程度しか生きられないと云います。
そこで今週末、飼っていたクロアゲハは、羽が随分と整ったようでしたので、思い切ってもう一度放してみることとしました。(写真④)
④また庭に放しましたがあまり飛びません

しかし、やはりあまり上手に飛べず、カボスの木から少し横にある、家の壁に張り付いたままとなってしまいました。(写真⑤)

⑤ちょっと飛んで壁に張り付くクロアゲハ
(まだ右の羽が小さいです)
仕方が無いですね。もうどうせ3,4日しか生きることは出来ないでしょうから、このまま本当に飛べないなら、それも運命でしょう。夕方になっていたので、このままにして、私たちは家に入りました。

◆ ◇ ◆ ◇

翌朝、このクロアゲハの横の雨戸を明けると、なんとコイツ、ヒラヒラと低空ですが、この庭を舞っているのが目に入りました!

「おっ!飛べているじゃん!」

と妻と喜んで、そのぎこちない飛行を眺めていました。

クロアゲハは、3回くらいヒラヒラと名残惜しそうに我が家の庭を旋回して飛んでいましたが、ついには他の家の庭伝いに飛んで行ってしまいました。

是非元気に飛び回り、交尾し、また卵を産みつけに戻ってきて欲しいです。

◆ ◇ ◆ ◇

長文お読みいただき、ありがとうございました。

品川歴史散歩

時差Bizで少し早く仕事が終わったので、早速職場の廻りを史跡巡りしました。

こういう時差Biz利用方法もあるだろうと、自慢したいのですが、実は品川から大井町までの電車代を節約したいだけの、ちょっと哀しい歴史散歩です(笑)。

旧東海道の品川宿(写真①)を通過します。60thの青い旗が印象的です。
今年は、品川台場の何かが60周年なのですね!

何だろう?ググると東京港60周年だそうです。東京港って戦後の開港なの?と横浜150周年をこの間迎えた私としては、不思議な感じがします。
①旧東海道宿 看板が左に見えます?


まずは品川台場採土跡と言うことで、御殿山の採土場に来ました。(写真②)
②品川台場の採土箇所とされる坂(左:坂下 右:坂上)

そう、坂と工事現場があるだけで、石碑も無し!これぞマイナー史跡の優等生ですね。(写真③)
③多分、この辺りの土を一生懸命崩して7基の台場を作ったのでしょう。

ご存じのように、お台場は、あの伊豆の頼朝が配流されていた蛭が小島の直ぐ近くに屋敷のあった江川太郎左衛門が設計を担当しています。(絵⑤)

この辺り、お台場に関する拙著blog「お台場」もご笑覧ください。(ここをクリック)
⑤江川太郎左衛門
さて採土場とされる裏は、JR線路です。(写真⑥)
⑥品川台場採土場裏はJR線路
まさにこの線路の辺りから土を採ったのでは?と想像しましたが、時代が違いますね(笑)。

JRを渡ったところにある御殿山庭園は、もうアブラゼミが鳴いていて鬱蒼とした森が、都心に居ることを忘れさせてくれました。(写真⑦)
⑦御殿山庭園

さて、次は品川神社です。(写真⑧)

⑧品川神社の石碑はでかくて立派!

やたらと大きな神社石の横、急階段を上って辿り着いた境内の空が綺麗でした。(写真⑨)

⑨薄暗い境内には誰も居ませんが空が綺麗でした

実は2年前まで居た部署では、毎年正月の仕事初めには、この神社に安全祈願をしていました。

ところが何度も来ているのに、歴史上有名な人のお墓があるとは露も知らず、Facebookの方から教えて貰って驚愕したので、今日はそのお方のお墓を確かめに来たのです。

そう、板垣退助さんです。教えて頂いた通り、神社の裏にありました。(写真⑩)

⑩品川神社裏にある立派な板垣退助の墓

大体、どうして神社にお墓があるのでしょうか?そもそもが不思議です。

ちゃんと「板垣死すとも、自由は死せず」と本人が云ったのかどうか怪しいとの説もある名言の碑もあります(写真⑪)
⑪有名な板垣のお言葉!
この言葉は、板垣が刺された時に、犯人の相原を取り押さえた内藤魯一という有志が、事件の時に言った言葉を、後に板垣が言ったものという説が有力です。

しかし、平日の夕方は、こんな東京の真ん中の神社でも誰も居ないのですね。(写真⑫)

⑫境内にある鳥居

品川神社境内の中、有名な富士塚の横にある浅間神社には「富士蛙(ぶじかえる)」がありました。(写真⑬)

⑬富士塚と麓にある「ぶじかえる」&浅間神社

「ぶじかえる」くんのお蔭で、この後、大井町駅を経て無事帰宅しました。

この小旅行の最後、大井町駅へ向かう途中の海蔵寺の境内から見えた夕焼けに、夏を感じながらも、何か物悲しさを感じました。(写真⑭)

⑭大井町近く海蔵寺から見た夕焼け
お読みいただき、ありがとうございました。

---Blog「マイナー・史跡巡り」(お台場)



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石橋山合戦 小話③ しとどの窟

思いがけないことで、「土肥の大椙跡」を発見出来た後、当初計画していた「しとどの窟」へ向かいます。

途中、前回のブログでも少し話が出た箱根のレーダー局の脇を通ります。
(写真①)

①レーダー局
国土交通省のレーダーのようですが、何に使うのでしょうか。私が小学校1年生の時、家族旅行で箱根・真鶴に行った時の絵日記に描いていますから、かれこれ40年以上はここにあり、防衛関係の歴史があるのでしょうね、やはり。

と考えながら、車で下って行くと、「しとどの窟」と書かれた看板を発見。
ただ、まだまだかなり標高は高く、ここから真鶴までは相当山を下らなければなりません。頼朝が舟で脱出するまでの隠れ家としては、海から離れすぎている気もします。

この看板横から、頼朝が舟で脱出をした真鶴方面を写したのが写真②です。
(写真②)
②しとどの窟の入り口辺りから真鶴方面を望む
(手前、初島が見えます。奥は大島)
ちょっと、距離ありますよね。まあ、海岸沿いになればなるほど、人家も多く、幾ら土肥実平の所領と言っても、平家軍への口止めが必ずしも効く訳ではないのですから、2~3日逗留するには、これくらい山奥でないとダメなのかもしれません。

駐車場に車を止めて、早速歩き始めます。前回の「土肥の大椙」の獣道に比べれば、舗装された道路、安心して進むことが出来ます。

駐車場から100mくらい歩くと、トンネルがあります。歩いて山の反対側に出ます。(写真③)
③トンネルを抜けて参道入り口へ
ちょっと開けた場所に出ますが、ここが「しとどの窟」への参道入り口です。(写真④)
④参道入り口
ここから、「しとどの窟」へは、かなり下っています。
ということは、また帰りはえらく登りになるなあ、と先程の土肥の大椙跡発見行程のトラウマが・・・

兎に角、てってこ、てってこ、参道の坂を下って行きます。(写真⑤)

驚くことに、日曜日の日中にも係らず、またこの参道でも私1人しかいないのです。
⑤「しとどの窟」への参道
この有名な「しとどの窟」でもです。
そうなると、ところどころに写真⑥のような地蔵があるのですが、妙にリアルな表情なので、ちょっと怖いです。(写真⑥)
⑥所々にリアルな表情の地蔵があります
つづら折りの階段を下りる事、15分くらい、結構距離あります。やっと標識が見えてきました。(写真⑦)
⑦あと80m
おっ、やっと着いた!と思ったのですが、違いますね。やたらに浅い岩の窟が続きます。
(写真⑧)
⑧やっと着いた!!
どうもここが本命の洞窟ではないようです。これでは7人どころか頼朝1人入るのも難しそう(笑)
(写真⑨)
⑨なんか奥が浅い洞窟です
ここまでずっと下りでしたが、ちょっとまた上ります。

「しとどの窟」もそうですが、この辺りの岩は、箱根外輪山の溶岩と火山砕屑物(噴火で放出された石や砂等)から出来ており、これらの窟は火山砕屑物の部分が割れて出来た洞なのです。

やっと、やっと、ありました。(写真⑩)
⑩着きました「しとどの窟」

この洞穴感、間違いありません。なんか沢山の鎌倉武士の霊がこちらを見ているようにも思える石仏たちが異様です。私しか居ませんし・・・・💦

しとどの窟から見える外界の景色は写真⑪のとおりですが、やはり、これでは梶原景時が頼朝らを見つけた時、ぬーっとは覗き込めません。(写真⑪)
⑪しとどの窟内から外界を見る
「しとど」の語源は「びっしょり濡れる」ということから、この窟は晴れているこの日でも水が滴り落ちていました。雨なぞ降った日には、かなり水量があるのでは?と思ってしまいます。(写真⑫)

頼朝らがこの窟に籠ったのは8月末、かなり蒸し暑かったことでしょう。
⑫窟の前をしとどに流れ落ちる水
実は、しとどの窟のいわれは、この話とは違った説が看板には書いてありました。

石橋山合戦の後の頼朝がこの窟に隠れていた時、平家の追手がこの窟を調査に来たのですが、「シトト」という鳥がこの窟から急に飛び出してきたので、人影がないものとして立ち去ったことより、「シトトの窟」⇒「しとどの窟」となったとの事です。(写真⑬)

⑬シトト

ほんとかなあ。なんかやはりこの水の滴り落ちから来る「しとど」が語源で、石橋山合戦の話と無理に絡めて、「シトト」という鳥が語源に話を換えたようにも感じますが・・・シトトの可愛さに免じて赦しましょう(笑)!

などと、思いつつも、頼朝が山木判官屋敷襲撃の源氏旗揚げから、石橋山合戦まで、大事に持っていた正観音を埋めた場所なのだと思うと、この場所での頼朝の心境の変化、脱皮振りが後の武家中心社会を創る原動力となった場所なのだなあと、来た甲斐を感じながら、元来た道を1人辿るのでした。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!



---Blog「マイナー・史跡巡り」(三浦一族② ~石橋山合戦~)
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